日本語教員研修会(6月29日)報告N0.5 講師 有森丈太郎 氏(トロント大学准教授(Teaching Stream))講演 Q&A・資料提供
性の多様性と日本語教育: 包摂的・肯定的な学習環境を考える
有森丈太郎(トロント大学東アジア学科)
文部科学省令和6年度中部ブロック日本語教師養成・研修推進拠点整備事業(共催:愛知県立大学・南山大学)の一環として行われた日本語教師研修会(対面)および公開講演会(オンライン)が行われました。当日は対面とオンラインのハイブリットで性の多様性と日本語教育について講義をし、続いて対面参加者による、ケース・メソッドを取り入れたディスカッションを行いました。本稿はその内容をまとめたものです。
第一部 講義
- はじめに
- 性の多様性
- インクルーシブ教育
- 性の多様性を巡る動向
- 学びのバリアフリー化
- 包摂的・肯定的な学習環境に向けて
第一部 講義 Q&A
講演後のアンケート寄せられた質問に回答します。類似のものはまとめて、本文で答えているものは省略しています。
また、専門外で回答できないものは申し訳ありませんが割愛させていただきました。ご理解のほどよろしくお願いします。
Q1. 「〜よね」「〜だぜ」などの女言葉、男言葉について。
私は「時代にそぐわない」とはっきり言っています。それで良いんでしょうか?
A1. たしかに不自然に感じられる表現を目にすることがありますね。
ただ、話し方のスタイルは世代差に加えて、地域差も大きいですし、自分は使わない表現でも他の人は使っている場合もあるので、「時代にそぐわない」というのは少し主観的で語弊があるかもしれません。
日本語教師同士でも言う、言わないで意見が分かれることもあるので、私は自分の身近な所では聞いたことがない、という説明をすることが多いです。
Q2. 教科書の内容に「包摂」にそぐわない表現があった場合、「この例文はあまり好きではない」と教師が学生に伝え、スキップして次の例文に進むという方法でもよろしいでしょうか。
A2. 教科書を教えるのではなく、教科書を使って教えるという考えに立つと、教科書の内容をそのまま使う必要はないと思います。
ただ、「この例文はあまり好きではない」という説明では学習者に意図が伝わらないと思うので、問題点に言及するか、初めから教科書の例文は使わず、自作の例文を使うという方法もあると思います。
Q3. 日本語の文型や表現によっては、その文型自体が社会規範や社会通念的に"普通"はこうであるはずだという考えを内包しやすいものがあると思われます。(例えば、モダリティ表現の「〜ものだ」、「〜らしい・らしくない」など)
これらの文型を授業で扱うとき、特に留意していらっしゃることはありますか。
A3. 例文などで「女性は~するものだ」「男らしい…」といった文に出くわすことがありますが、私の場合は自分で例文を作ることが多いので、そのような例文は授業中に取り上げなかったり、場合によっては例文を取り上げて、その内容を批判的に考える材料にすることもあります。
Q4. 留学プログラムで日本語を教えていますが、学生の大半はホームステイをします。
ステイ先の価値観はさまざまで、学生たちは多くの場面でマイクロアグレッションを経験するのが現実です。
ホームステイ先の家族向けのオリエンテーションで10分程度発言する機会があるのですが、教育のプロではないホストファミリーに向けてのメッセージとして、先生なら何をお伝えになるでしょうか。
A4. 相手との関係性などもありますので、難しいところですが、留学生は日本のことを学びに来ていると同時に、日本にはない多様な価値観を教えてくれる存在でもあるわけで、そこでの相違は互いに尊重されるべきだという点は抑えたいと思います。
また、マイクロアグレッションという概念を紹介し、留学生が経験しがちなマイクロアグレッションの例についても説明をするかと思います。
Q5. 人々が、性、ジェンダー、性的マイノリティなどに対して発することばの中で、身近なところでは、特に親世代(50~60代)の発言に、私自身がとても敏感になってしまいます(気に触ったり、時には怒りを感じる時もあります)。
彼らの考え方や態度などを変えることは難しいと感じたり、私自身がなぜ気になってしまうのかうまく説明できないために、自分の考えや感じたことを彼らに伝えることを諦めてしまっています。
先生でしたら、「一般の」社会の人たちに対して分かりやすく、また伝わるようにどのように伝えますか?何か例を提示するなど、相手に話す・伝える上でよい方法などはありますか?
A5. これは難しいですね。
相手の性格や関係性もあるので、こうすればいい、という方法を提示することはできませんが、基本的に「それは差別だ」といった指摘をしたり、すぐに相手の考えを変えようとはしません。
それは私自身が自分のセクシュアリティを受け入れたり、人の性的アイデンティティを理解するのにかなり時間を要したからです。その経験を踏まえ、当事者の自分でも時間が掛ったのだから、そうでない人にはもっと時間が必要、と考えています。
個人的な話ではありますが、大学院時代、私のセクシュアリティについてしばしば不躾で無神経な質問をする人がいました。内心腹も立っていましたが、ここで私が怒ったり拒絶をしたらその人の性的マイノリティについて知る機会を閉ざしてしまうと思い、今振り返っても、なかなか根気強くその人の疑問に答え続けました。数年後、誰かが差別的な発言をした時にその人が窘めているのを見て、あの時怒らなくてよかったと思いました。
別の例ですが、私の身内にもトランスジェンダーに対してしばしば差別的な発言をする者がおり、時折注意しても変わりませんでした。それが一年ほど前、身内もよく知る人の家族がトランスジェンダーで辛い思いをしていることを話したら(個人が特定されないように配慮しました)、そこからピタリと差別的なことを言わなくなりました。正直意外でしたが、初めて身近なこととして感じられ、それで傷つく人がいるのだと納得できたのだと思います。
Q6. 愛知県立大学を卒業してからどんな経緯で現在の職に就かれたのでしょうか。
A6. もともと愛知県立大学には日本語教員を目指して社会人編入をしたのですが、卒業後はトロント大学の修士課程に留学しました。
青年海外協力隊(当時)の日本語教員にも内定していましたが、勉強するなら少しでも若いうちがいいと思い、進学を選びました。
院で日本語学を学びながら、ティーチングアシスタントとして日本語を教える経験をさせてもらい、卒業と同時にアメリカの大学で非常勤講師として教え始めました。二年後にトロント大学で日本語教員の公募が出たのでそれに応募し、採用となりました。
第二部 ディスカッション
次に講演の後、対面で行われたケースメソッドを用いたディスカッションの様子を紹介します。ディスカッションでは以下の3つのトピックの内、2つ目と3つ目についてグループで話し合いをし、それを全体で共有しました。2、3のいずれも、これらは日本語教育の現場で起こり得る問題ですが、マニュアル的な「正解」はなく、その現場を一番知っている教師自身が最適と思える対応を考えなければいけない内容です。このディスカッションでは参加者が意見を出し合うことで、実際にこのような問題に直面した時に対応する際の視点を得ることを目的としています。
トピック1
留学生から学校や地域におけるLGBTQ+のための取り組みや団体について知りたいと言われました。知っていることをグループで共有してください。わからなければスマホなどで調べても構いません。
(参考:INGS-J 2024 Scenario based Workshop - Inclusive and Affirmative)
時間の関係で割愛しました。各人でぜひやってみて下さい。
トピック2
初級コースの作文を採点しています。英語が母語の女子学生が「週末は彼女と買い物に行きました」と書いていました。英語では女友達のことを girlfriendと言うこともあるので、本当はそう言いたかったのかもしれません。どのような対応が考えられますか。
話し合いで出た意見
- 学習者の意図を確認する。同性の恋人だとわかった時に普通のこととして受け止めることが大事。
- 恋人なら「彼女」のままで、友達なら他の言い方もあることを作文に対するコメントとして書き込む。
- 確認やフィードバックをする際は学習者との関係性や性格、年齢なども考慮する。
- 作文のテーマが「週末の出来事」であれば本人に確認したり訂正をしたりする必要はない。「友達との思い出・友達との予定」など、友達がテーマに含まれるのであれば、本人に一対一で話せる環境で確認する。
- 次の授業で「彼氏」「彼女」「女友達」「男友達」の使い方をクラス全体で取り上げる。「恋人」「友達」など、性別に関わらず使える表現も紹介する。
コメント
私自身の昔の経験を共有すると、それが間違いかどうかは作文を添削する上で緊急性がないと考え、その場でのフィードバックを保留にしたことがあります。その後の授業中の発言や他の課題の回答から、同性の恋人を指していたことがわかったということがありました。今も基本的に同じような対応をしていますが、加えて授業でクラス全体に対して説明をすることをしています。本人に対して直接役人やフィードバックする方法も悪くはないと思いますが、伝え方によっては否定的な反応と受け取られる可能性もありますし、クラス全体に対して行うことで他の学生にも役立つ情報になると思います。